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2016年2月28日 日本バプテスト厚木教会 受難節 第三主日礼拝

 

ルカによる福音書 第23章32~38節 

 

 32 ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。33 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。34 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。35 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」36 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、37 言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」38 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。

 

 

「自分を救わぬ救い主イエス」

 

 本日もこのように皆さんと共に主の日の礼拝をお捧げ出来ますお恵みを感謝しています。本日も聖書の祝福の言葉を皆さんにお贈りして、説教を始めます。フィリピの信徒への手紙 第4章23節の言葉です。「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように」。

 今、私どもは受難節、主イエスの十字架を覚える時を過ごしています。それに合わせて、ルカによる福音書の受難記事の言葉をご一緒に聞いています。前回の箇所は、主イエスが十字架の刑場に連れていかれる場面でした。

 

 本日与えられました箇所はこう始まっています。32節です。「ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った」。十字架刑においては、しばしば複数の受刑者が同時に処刑されたそうです。主イエスたちは、エルサレムの城壁の外にあります処刑場に着きます。33節によりますと、そこは「されこうべ」と呼ばれていました。なぜそのように呼ばれているのか以下のように推測されています。十字架刑に処せられた者は、呪われて死んだ者とされ、きちんと埋葬されなかったことが、しばしばあったようです。そのため、既に処刑された者の骨がその辺りにころがっていたのではないだろうか、という推測です。また、そこはされこうべ、頭蓋骨のように、丸く膨らんだ形をしていたので、そう呼ばれていたとの推測です。いずれにしましても、処刑場の不気味な雰囲気にふさわしい呼び名と言うことが出来るかもしれません。

 

32節に続く33節では、こう言われています。「『されこうべ』と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた」。ついに、処刑が始まります。まずは、十字架を横に置き、そこに受刑者を寝かせ、手足を釘で打ち付けるのです。そして、十字架を立てるのです。釘で手足を打ち付けられたことで、言葉に言い表せない激痛に受刑者は苦しんだことでしょう。そして、十字架を立てると自分の体の重さが、釘で打たれた傷口に架かるのです。まさに残酷な処刑です。しかし、福音書記者はその残酷な出来事を淡々と伝えているのです。書かずとも容易に想像出来るからでしょうか。それもあると思います。しかし、それだけではないでしょう。前回も申しました。主イエスの十字架を覚える時、そして、受難節を過ごす時、「おいたわしや、おいたわしや」とだけ思っていると、十字架の大切な意味を見失ってしまうのです。そうです。十字架は確かに残酷な死刑道具です。しかし、そこだけに焦点を当ててしまうと、十字架による救いという大切な視点が薄まってしまったり、消えてしまうのです。十字架において、何よりも大切なことは、主イエスが私どもの罪の赦しのための犠牲の捧げ物となってくださったことです。私どもが罪赦されるために、主イエスが私どもの身代わりとなって償ってくださったということです。

 

先程、交読文で、イザヤ書 第53章を読みました。しばしば、「苦難の僕」と呼ばれる箇所です。主イエスの十字架を預言した言葉であり、主イエスの十字架が、私どもの罪の償いであったことを教えてくれる言葉です。その中の一部を、新共同訳で紹介します。イザヤ書 第53章5節から8節です。「5 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎(とが)のためであった。彼の受けた懲(こ)らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。6 わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。7 苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠(ほふ)り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。8 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。」

かつて、主イエスの十字架をリアルに描いた映画が公開されました。十字架の残酷なシーン、目を背(そむ)けたくなるようなシーンもそのまま描いていました。リアリティーを求めるという意味では、映画の中では、主イエスをはじめとするユダヤ人は、当時話していたアラム語でセリフを言うと徹底ぶりでした。キリスト教会の中では、かなり話題になった映画です。しかし、ある神学者は、その映画に批判的でした。その映画では、福音書、そして、新約聖書の書簡が伝える十字架の意味よりも、目に見るリアリティーが強調されていたからです。

 

今読みましたイザヤ書でも言われていましたし、前回も申しましたように、主イエスの苦しみの原因は、私どもにあるのです。私どもが神に背き、逆らい続けた結果として、自分たちで罪を償い切れなくなくなったために、罪のない、神の御子、主イエスが私どもの身代わりになってくださったのです。それゆえ、主イエスの十字架の苦しみを思う時、「おいたわしや、おいたわしや」だけで終わってしまうのではなく、主イエスをそのようにさせてしまった自分の罪深さに気付き、主の前に跪(ひざまず)いて罪を悔い改め、主に立ち帰らなければならないのです。繰り返し申しますが、その意味で、受難節は悔い改めの時、神に立ち帰る時なのです。

 

 さて、34節の前半部分は、鍵(かぎ)括弧(かっこ)の中に入っています。これは、その言葉がない聖書の写本もあるからです。ですから、最初のルカによる福音書にはなかった言葉かもしれません。しかし、別の伝承を元にここに加えられるようになり、その後、大切な言葉として本文に含めた写本が作られるようになったのではないか、と考えられています。34節はこうです。「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った」。主イエスの十字架上の七つの言葉の一つであり、その中の最初の言葉と思われる言葉です。

 主イエスはかつてこうおっしゃっていました。ルカによる福音書 第6章27節です。「27しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。28 悪口(わるくち)を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」。敵を愛する。具体的に、悪口(わるくち)を言う人に祝福があるように祈る。侮辱する人のために祈る。とても難しいことを、主イエスはおっしゃいました。主イエスのお言葉の中でも、最も従い辛(づら)い命令の一つとも言われます。自分に害を加える者、そんな奴らをのさばらせておいたら、もっと酷(ひど)い目を負いかねない。普通そう思うでしょう。それなのに、主イエスはそのような相手を愛しなさい。そのような人に祝福があるように祈りなさいとおっしゃるのです。中にはそんなことを言うから、主イエスはむざむざ殺されたのだと言う人もあるかもしれません。また、本当に主イエスご自身そのようなことが出来るのかと思う人もあるでしょう。

 

 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」との言葉は、まさに、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口(わるくち)を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」とのご自身の言葉を実行され、私どもにお手本を示された言葉だったのです。

 

 ここで、しばしば論じられるのは、主イエスがおっしゃっている「彼ら」とは誰かということです。主イエスを実際に十字架に釘づけにし、死刑を行ったのはローマ兵たちです。十字架はローマ式の死刑です。「彼ら」をローマ兵とすると、確かにローマ兵たちは、主イエスがどういう方であるか知らなかったでしょう。そうだとすると、この主イエスの言葉は理解しやすいでしょう。悪いのは主イエスを十字架につけろと叫んだユダヤ人たちだった。ローマ兵たちは職務を遂行したまで、彼らには悪い所はないのだとすれば、この言葉は理解しやすいかもしれません。しかし、そういう意味で主イエスはこの言葉をおっしゃったわけではなかったでしょう。では、主イエスが赦してあげてくださいと祈られた「彼ら」とはユダヤ人たちのことでしょうか。祭司長たち、律法学者たち、そして、彼らに扇動され、主イエスを十字架につけろと叫んだ民衆たちでしょか。確かに彼らはついに主イエスを抹殺してしまったのです。まさに主イエスの敵、迫害する者です。主イエスはそのような人たちのために祈られたのです。では、主イエスが祈られた「彼ら」とはユダヤ人たちだけでしょうか。もし、そうだとすると、主イエスのこの言葉、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」との言葉は、私どもに関係ないことになり、十字架も私どもに関係ないことになってしまいかねません。そうでは、ないのです。主イエスがおっしゃった「彼ら」とは、私ども皆のことなのです。

 

 当時のエルサレムにいたユダヤ人、祭司長たち、律法学者たち、民衆たちのように主イエスを十字架で処刑するという決定に、私どもは直接関わっていません。しかし、神を敬わず、神に背き、逆らっているという点で、私どもは当時のユダヤ人たちよりマシなどとは、決して言えません。現代社会の大きな問題、そして、私ども身近で起きているさまざまな問題、そして、私ども自身の生きい方、隣人との関係を問うてみれば、それはすぐに分かります。そうです。主イエスは 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と、十字架の苦しみの中で、主イエスの処刑に直接関わった人たちだけでなく、私どもすべてのために祈ってくださったのです。

 

 主イエスがこのように祈ってくださったからこそ、主イエスの十字架は、私どもの罪の償いの十字架となったと言う事が出来るでしょう。もし、主イエスがこのように祈ってくださらなかったら、いくら主イエスの十字架が私どもの罪の身代わりの償いだとしても、主イエスを十字架につけてしまった私どもの罪は残るでしょう。その罪は、どこかまた別の方法で償わなければならなかったでしょう。何しろ、神の御子を神に造られた人間が殺してしまったのですから。しかし、主イエスがこのように祈ってくださったことにより、主イエスを十字架で殺してしまった罪、真に大きな罪も、それまでの私どもの背きの罪と一緒に償っていただけたのです。

 

 それにしても、この主イエスのお言葉を聞いた人たちは、驚いたことでしょう。それは、それまで開き直ったような態度でいた受刑者も、いざ、釘を打ち付けられると、その激痛のために、悲鳴を上げ、勘弁してくれと言うに違いないと容易に想像出来るからです。または、呪いの言葉を言って、復讐してやると罵(ののし)るかもしれないからです。しかし、主イエスは神に祈られたのです。しかも、 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と。このようにおっしゃったのは、主イエスだけだったでしょう。その言葉を聞いた人たちは、この方はほかの者たちとは、全く違うということに気付いたことでしょう。

 

 それでも、私ども人間は愚かです。大切なことに気付かない者も多いのです。そのことが35節以下で述べられています。こうです。「35 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。『他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。』 36 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、37 言った。『お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。』38 イエスの頭の上には、『これはユダヤ人の王』と書いた札も掲げてあった」。そのように言われています。本日の説教題にも掲げましたように、主イエスはご自分を救おうとはなさらないのです。そして、まさに、ご自分を救わないことによって、私どもを救ってくださったのです。それは、私どもの常識を覆(くつがえ)すことでした。私どもは、主イエスを嘲笑(あざわら)った議員や兵士たちのように、自分自身を助けられないような弱い奴に、他の人を救うことなど出来やしないと考えます。目に見える力こそすべてと思っているからでしょう。そして、先ほども引用しましたイザヤ書 第53章の「苦難の僕」の預言が教えてくれるような、私どもの常識を超えた神の救いの御業が実際にあることを知らなかったからです。

 

 主イエスの十字架がなかったら、私どもが罪赦される道はありませんでした。主イエスがご自身を十字架の上にお捧げ下さったことにより、私どもの救いの道は作られました。そして、主イエスが「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈ってくださったゆえに、神の御子主イエスを十字架につけてしまった罪をお赦し頂く道を開いて頂きました。そして、主イエスがご自分を救わないで下さったゆえに、私どもの救いの道が確保されました。本日の聖書箇所に書かれていること、どれ一つが欠けても、私どもが罪赦され、救われる道は閉ざされてしまったのです。そう思いますと、ただただ父なる神と御子に感謝し、跪(ひざまず)いて、私どもの罪を言い表し、悔い改めずにはいられません。ここで神に立ち帰らずに、どこで立ち帰るのかとさえ思ってしまいます。

 

 そして、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈ってくださった主イエスのようには祈れない自分に気付きます。主イエスと同じように祈った最初のキリスト教会の殉教者ステファノのようにも祈れない自分に気付きます。しかし、キリストに倣うことが、キリストの弟子である私どもキリスト者の務めです。ですから、そんなこと出来やしないと開き直ることは出来ません。自分は、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」とのみ言葉によって救われたにもかかわらず、自分はそのように祈れないことを主の前に告白し、それでも、必死に主イエスについて行き、主イエスに倣う者となれるように祈ってまいりましょう。

 祈りを捧げます。

 

 私どもの救い主である主イエス・キリストの父なる神よ。主イエスが十字架の上で 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈ってくださったことによって、私どもの救いの道が作られましたことを感謝致します。そして、ご自身を助けることなく、ご自身を犠牲にしてくださった故に、私どもに救いの道が開かれたことを感謝致します。何というお恵みでしょう。そこまでして、私どもを愛し、私どもに救いをお与えくださっていますことを感謝致します。どうぞ、主イエスのみ業とみ言葉に従って、主イエスに倣う者としていただいて、しっかりと救いを頂くことができますように私ども一人一人をお導き下さい。私どもの救い主、主イエス。キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

2月28日 受難節 - Unknown Artist
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2016年2月21日 日本バプテスト厚木教会 受難節 第二主日礼拝

 

ルカによる福音書 第23章26~31節 

 

 26 人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。27 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。28 イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。29 人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。30 そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆(おお)ってくれ』と言い始める。31 『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」

 

 

「十字架を背負われた主イエス」

 

 本日もこのように皆さんと共に主の日の礼拝をお捧げ出来ますお恵みを感謝しています。本日も聖書の祝福の言葉を皆さんにお贈りして、説教を始めます。フィリピの信徒への手紙 第1章2節の言葉です。「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」。

 受難節、主イエスの十字架を覚える時を過ごしています。それに合わせて、ルカによる福音書の受難記事の言葉をご一緒に聞いています。前回までの箇所で、主イエスへの不当な裁判は終わります。そして、死刑、十字架刑という不当な決定がなされます。「十字架につけろ」との声に、ローマから派遣されていた総督ピラトも屈服したのです。おかしなことが堂々と行われていたのです。

 

 本日の箇所は、主イエスが十字架の刑場に連れていかれる場面です。これを「十字架の道行き」と呼びます。カトリック教会の中には、礼拝堂のまわりの壁に、この「十字架の道行き」を描いた14枚の絵を掛けている所があります。また、絵の代わりに14の十字架が掛けられているところがあります。庭に14の十字架を置いている教会もあるそうです。そのようにして、主イエスの十字架に心を向けるのです。十字架の道行きに心を向けるのです。その一つ一つの前に立ち止まり、主イエスの十字架の道行きを思い起こし、黙想し、祈りをするのです。そのように、キリスト教会は十字架の道行きを大切にしてまいりました。

 

 私どももそのように、十字架を背負われ、十字架に向かって行かれた主イエスに付いていくのです。主イエスの後に従っていくのです。

本日の聖書箇所はこう始まっています。「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」。十字架刑の残酷なことの一つは、受刑者が磔(はりつけ)になる十字架の横木を受刑者本人に背負わせることです。映画で、縦の木も一緒に組み合わせた十字架を主イエスが背負う場面が描かれることがありますが、実際は、横木だけを背負わせたそうです。そうだとしても相当の重さです。主イエスは前日一晩中、最高法院、ピラトの所、ヘロデの所と引いて行かれ、一睡もなさっていません。しかも、殴られたりされています。相当疲労しておられたでしょう。そのため、途中で十字架を担げなくなってしまわれたのです。そこで、たまたまそこにいたシモンというキレネ人を捕まえて、有無を言わさず、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせたのです。十字架を背負うにふさわしいほどシモンは屈強な体つきだったのでしょうか。当のシモンとしたら、晴天(せいてん)の霹靂(へきれき)です。死刑の道具を受刑者に代わって背負わされる。これほど屈辱的なことは今までなかったでしょう。

 

 主イエスはかつてこうおっしゃいました。ルカによる福音書 第9章23節です。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」。自分を捨て、日々、自分の十字架を背負い、主イエスに従う。それが主イエスの弟子であるキリスト者に求められる生き方だと教えられたのです。厳しいものがあります。自分を捨てる。自分の十字架を背負う。シモンのように、十字架は、突然負わされるものかもしれません。誰も喜んで背負うものではありません。出来れば背負わないで済めばと思われるものです。しかし、十字架は、父なる神から無理やり負わされることの方が多いかもしれません。それを受け入れることがキリスト者として生きることだと主イエスはおっしゃるのです。ただし、独りで歩むのではないのです。主イエスが一緒に歩んでくださるのです。主イエスは、わたしの軛(くびき)は負い易いと別の箇所でおっしゃいました(マタイによる福音書 第11章30節「わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」」)。ですから、自分の十字架を背負っても、主イエスに従って、主イエスと共に歩むなら、主イエスが助けてくださるに違いありません。厳しいことには変わりはないでしょうが、いつも主イエスと共にある恵みは、他に代え難いことでしょう。

 

 このシモンはのちにキリスト者になって、この時の体験を繰り返し証ししたと想像されています。あとになってみれば、貴重な体験をさせていただいたのです。主イエスの十字架の道行きを最も近くで歩んだのです。主イエスの十字架の重さをその身をもって体験したのです。

 

 信仰を頂くと、私どもの価値は一転します。そして、喜びとするものも変えていただくのです。私どももシモンのように、自分の十字架を背負って、主イエスに従ってまいりましょう。

 

 さて、28節では、こう言われています。「イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。『エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け』」。主イエスはここで長い沈黙を解かれます。ヘロデの館に連れて行かれ、ヘロデに尋問された時から主イエスは沈黙されていたのです。それからずっと「十字架につけろ」と叫ぶ声に対しても、何もおっしゃらず沈黙されたのです。では、なぜここで主イエスは口を開かれたのでしょうか。28節から31節は、主イエスが皆に語られ、教えられた最後の言葉です。主イエスがこれだけは言っておかなければならないとして、閉ざしていた口を開かれお話しくださったのです。

主イエスはこうおっしゃっているのです。婦人たちよ、わたしのために泣かなくてよい。おいたわしやなどと涙を流す必要はない。むしろ、自分のために泣きなさい。自分の子どもたちのために涙を流しなさい。そうおっしゃるのです。なぜ、自分や自分の子どもたちのために泣けと、主イエスはおっしゃるのでしょうか。一つ言えることは、こういうことでしょう。今、主イエスが十字架を背負って、この道を行かれるのは、なぜか。それは、あなたがたのため。あなたがたの罪が償われるため。あなたがたが救われるためだ。そのことに早く気付きなさい。そして、主イエスにそこまでさせてしまっている自分に涙しなさい。深く涙しなさい。そうおっしゃるのです。主イエスは、ご自分への同情の涙ではなく、悔い改めの涙を求めておられるのです。自分の罪深さに泣きなさい。主イエスに命まで捧げさせてしまった自分の罪深さに、その愚かさに泣きなさいとおっしゃるのです。

 

 ここから、受難節の過ごし方を教えられます。受難節は、特に主イエスの十字架を覚える時です。十字架の苦しみを覚える時です。だからと言って、十字架で苦しまれた主イエスはおいたわしいと泣くことが求められるのではありません。28節で主イエスがおっしゃるように、そして、今申しましたように、主イエスが十字架を背負ってくださったのは、この私の罪が償われるため、私が救われるためだ。そのことを覚えて悔い改める時なのです。受難節はそのような時なのです。

そして29節です。こう言われています。「人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る」。ここで使われている「何々と言う日が来る」という言い方は、審(さば)きの預言をする時の用語です。昔、神の祝福は何よりも子孫繁栄であると考えられていました。そのため、子どもを産んで、育てることが神からの祝福と思われていました。ですから、29節の言葉を用いれば、「子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は不幸だ」と思われていたのです。しかし、「何々と言う日が来る」と言われていますように、審判が下る時、多くの犠牲者が出て、その中には子どももいて、それまで幸いだと思われていたこと、子どもがいたことが、むしろ不幸なこと思われるようになると言うのです。その時、それまでの価値が逆転し、29節で言われるように、「人々は『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る」と言われるのです。これは、厳しい審(さば)きが来ることを預言して、こう言われているのです。

 

  そして、30節。「そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆(おお)ってくれ』と言い始める」。この30節は、ホセア書 第10章8節からの引用です。ただし、この30節と続く31節はいろいろな解釈がなされると箇所です。30節の解釈の一つは、こうです。その時、神の審判が下る時、山よ、丘よ、わたしを覆(おお)ってくれ、さもなければ、わたしは神の審(さば)きに耐えられない。人々はそのように叫び始めると言うのです。ここも、審(さば)きの厳しさが表されています。

 

  そして、31節。「『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」この箇所の解釈の一つはこうです。生の木とはまったく罪のない主イエスです。枯れた木とは罪にまみれる私どもです。生の木に譬えられるまったく罪のない主イエスでさえ、このような苦しみを負わなければならないのだから、枯れた木に譬えられる罪にまみれたあなたがたには、一体どれほどの審(さば)きが下るだろうか。そのように言われているのです。ここでも、神の審判の厳しさが告げられています。

 

 このように見てまいりますと、28節で、主イエスは悔い改めを求められ、29節から31節までは、神の審(さば)きの厳しさが繰り返し告げられています。では、ここで主イエスはどうしようもない自分に気付きなさいとだけ、おっしゃっているのでしょうか。審(さば)きの厳しさを嘆くがよいとだけおしゃっているのでしょうか。主イエスの言葉だけ聞いているとそのようにも聞こえてしまいます。しかし、今、主イエスは十字架に架けられるために、刑場に向かわれているのです。それは一重(ひとえ)に私どもの罪の償いのため、私どもの救いのためです。ですから、そこで審(さば)きの厳しさを知ると共に、主イエスが十字架を背負い、十字架の刑場への道を進んで行かれていることを知るのです。そこに救いの確かさがあるのです。悔い改めて、審(さば)きの厳しさを知ると共に、主イエスの十字架による救いの有難さに気付き、主イエスに従って行くのです。

 

 「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け」。主イエスは悔い改めの涙を求めておられます。自分の罪深さに泣き、それによって、主イエスに酷(ひど)い仕打ちをしてしまったことに涙しなさいと言われます。私どもは、しばしば独りよがりの心から自分のために涙を流します。自分の思いが叶えられずに、悔し涙を流します。私どもの涙はそのように独りよがりの心が、そして、罪の心が生む涙です。どれほど父なる神のために、主イエスのために、そして隣人のために涙を流しているでしょうか。どれだけ、隣人に寄り添い、涙を流しているでしょうか。そして、主イエスがここで教えてくださっているように、自分の罪を、愚かさを、どれほど嘆き、そのために主イエスを苦しめていることに涙を流しているでしょか。

 

 主イエスは十字架を背負いながら、十字架の道行きの中で、私どもが何に泣くべきかを教えてくださいました。何のために涙を流すべきかを教えてくださいました。独りよがりが生む涙に、罪の心が生む涙に、さよならを言いましょう。そして、十字架を負って歩まれる主イエスと共に、自分に負わされた十字架を負って歩んでまいりましょう。

祈りを捧げます。

 

 私どもの救い主である主イエス・キリストの父なる神よ。主イエスが十字架を背負われたことを思います。十字架の刑場への道行きを思います。そして、そのような中にあっても、私どもに教えてくださっているお恵みを思います。それらは皆、私どもの救いのためです。主イエスはただただ私どもの罪の償いのために、私どもの救いのために、進まれました。決して後戻りせず、歩みを止めることなく、私どもの救いのために、御父との救いの計画を実行してくださいました。何というお恵みでしょう。そこまで、私どもを愛し、私どもを救いにお招きくださっていますことを感謝致します。どうぞ、主イエスのみ業とみ言葉に従って、しっかりと救いを頂くことができますよう、私どもをさらに強くお導き下さい。私どもの救い主、主イエス。キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

2月21日 受難節 - Unknown Artist
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2016年2月14日 日本バプテスト厚木教会 受難節 第一主日礼拝

 

ルカによる福音書 第23章13~25節 

 

 13 ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、14 言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。15 ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。16 だから、鞭で懲(こ)らしめて釈放しよう。」18 しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。19 このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。20 ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。21 しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。22 ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲(こ)らしめて釈放しよう。」23 ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。24 そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。25 そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。

 

 

「人は如何にして神の御子を殺したか」

 

 本日もこのように皆さんと共に主の日の礼拝をお捧げ出来ますお恵みを感謝しています。本日も聖書の祝福の言葉を皆さんにお贈りして、説教を始めます。エフェソの信徒への手紙 第6章23節、24節の言葉です。「23 平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。24 恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように」。

 

 受難節に入りました。それに合わせ、先週から主イエスの受難記事に耳を傾けています。前回の箇所では、捕えられ最高法院で死刑に当たるとされた主イエスが、総督ピラトの所に連れて来られ、ピラトから尋問を受けます。ところが、ピラトは主イエスに罪を見出すことが出来ませんでした。困ったピラトは、ガリラヤの領主でその時エルサレムに滞在していたヘロデの所に、主イエスを連れて行かせます。ヘロデも主イエスを尋問しますが、主イエスは沈黙されるのです。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、主イエスを激しく訴えます。 ヘロデも自分の兵士たちと一緒に主イエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返したのです。

 ということで、本日の聖書箇所の舞台は再び総督官邸です。本日の箇所を見てまいりましょう。総督ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、主イエスに何の罪を見出せなかったことを再び告げます。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。

 

ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭(むち)で懲(こ)らしめて釈放しよう。」ここで、ピラトは主イエスを釈放することを提案します。この時ピラトが言った「鞭(むち)で懲(こ)らしめて」と訳されている言葉には、処罰するという意味はないそうです。わたしが鞭打(むちう)って、叱(しか)って懲(こ)らしめておくから、その位で勘弁(かんべん)しやることにしようと言うのです。言外に、お前たちは黙ったらどうかと言っているように聞こえます。ピラトは主イエスを神の御子と認めていないでしょうが、人間が神の御子を叱(しか)って懲(こ)らしめるというのは、実に滑稽(こっけい)です。しかし、それ以上に、何とか主イエスを処刑したがっている祭司長たちと議員たちと民衆の方が異常です。理不尽なこと実行するために、罪のない方を殺すことをごり押ししようとしているのです。冷静に見れば、誰もがおかしいことに気付きます。

 

 さて、新共同訳聖書では、17節が欠けていて、ルカによる福音書の最後に書いてあります。そこにはこうあります。「7 (底本に節が欠落 異本訳)祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった」。新共同訳聖書が最も根拠にしているルカによる福音書の写本、年代が古く、オリジナルに近いと思われる写本には、この17節はありません。しかし、比較的古い時代に加えられ、その後、ルカによる福音書の言葉として受け入れられている言葉なので、このように記されています。

 

 しかし、人々はピラトの意に反して、一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだのです。祭りの度ごとに、ピラトが釈放する釈放する囚人を、今年はバラバにしろという要求を始めたのです。19節で言われていますように、このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのです。ピラトは祭りごとに恒例となっている恩赦を使って主イエスを釈放しようと思い、改めて呼びかけるのです。しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けます。人々がそう叫び続けるものの、納得のいかないピラトは三度目にこう言うのです。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲(こ)らしめて釈放しよう。」何とかして不当な、無意味な、処刑を避けようとピラトはするのです。ところが人々は、主イエスを十字架につけるようにとあくまでも大声で要求し続けました。その声はますます強くなったのです。 そこで、とうとうピラトは諦(あきら)めます。ピラトは彼らの要求をいれる決定を下すのです。すなわち、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを人々の要求どおりに釈放し、主イエスの方は、祭司長たちと議員たちと民衆に引き渡して、好きなようにするようにと命ずるのです。それはピラトも死刑という判決を下したということです。

 

 ある牧師は説教の初めに、主イエスが十字架で殺されたことを当たり前のことのように思ってはならないと言います。この時期、私どもは主イエスの受難の記事、十字架の記事を聞きます。それは、私どもの救いにはなくてはならぬことだったと聞きます。そして、十字架の出来事に慣れっこになってしまう。そうしていると、主イエスが十字架で殺されたことを何か当たり前のことのように思い始めてしまう。それは危険なことだとその牧師は言うのです。そこでは真に理不尽なことが起こったということを忘れてしまいそうになるのです。

 

 私どもは毎日のように、人の命が奪われた事件や事故を耳にします。その度ごとに心痛みます。犠牲者の家族を思うと辛くなります。ご家族に主のお慰めがあるようにと祈りたいと思います。それなのに、主イエスの十字架の記事については、当然のことのように聞き、読んでしまうことが、その牧師の指摘のようにない訳ではありません。そのことにも心を留めておきたいと思います。

 

 さて、この聖書の場面では、大声が勝ったかのように見える、と言う人がいます。その後、十字架に架けられた主イエスは復活され、死にも勝利されるのです。ですから、ここで、祭司長たちと議員たちと民衆が主イエスに勝った訳ではありません。しかし、ここで主イエスの十字架刑が決定してしまっていることから、世の常として大声が勝つのかとも思えてしまいます。実は正しいことでも、それに反対する声の方が大きくなってしまえば、正しいとは認められないのが現実とも言えます。悲しいことですが、そうなってしまうことが多くあります。

 

 先日放映されたNHKのクローズアップ現代、「内部告発者 知られざる苦悩」という番組では、最近、企業が行っていた不正の多くが、勇気ある内部告発者によって明らかにされたこと、しかし、その告発者たちが、組織から報復を受け苦悩する様子を伝えていました。正しいことを主張しても、少数派になることは、多くのリスクを伴うようです。

 

 主イエスへの不当な裁判でも、大きな声が、多数派が、自分たちの要求を受け入れさせたのです。そこでは、何が正しいか、ピラトが最後まで問いかけたことは無視され、退けられてしまったのです。

 

 本日の記事においては、「十字架につけろ」との声が通ってしまったのです。最後には、根拠、理由は問題にしない祭司長たちと議員たちと民衆がごり押しをしたのです。

 

 このように見てまいりますと、主イエスに対する判決は、実に不当であり、そこに私ども人間の罪が見えてきます。何が正しいか、何が間違っているかを問題にしないのです。神の声を聞こうともしないのです。そこには驕(おご)りがあると思います。理由は必要ない。自分の欲求を満たすために、手段を選ばない態度が見えます。

 祭司長や律法学者たちにとって、主イエスは邪魔者でした。何とか合法的に主イエスを抹殺しようとしたのです。十戒の中に、「汝、殺すなかれ」とあります。しばしば、この言葉が説教される際、「あなたは、誰々がいなければよいのにと思ったことはありあませんか。それは、その人を殺すのと同じですよ」と言われます。それは極端な言い方だなと感じる人がいるでしょう。しかし、現在も続く独裁国家において、次々と政府の幹部が粛清されているニュースを聞きます。それを思うと、もし、自分もその独裁国家の独裁者であったなら、邪魔者は殺せ、気に入らない奴は殺せということになりかねないと思います。かつて、冷戦時代、米ソそれぞれで、疑いをかけられた人々が米ソ内外で多数抹殺されたことも、忘れてはならないと思います。

 

 また、扇動に乗ってしまった民衆も、主イエスを殺した罪から逃れることは出来ないでしょう。かつてこんなことがありました。日露戦争において、日本政府が講和条約を結ぼうとした時、多くの国民が戦争をもっと続けるべきだと主張したそうです。日本海海戦の勝利によって、もっと戦って行けると思ったのでしょう。しかし、実態はそうではありませんでした。戦費も尽きそうになり、政府は何とかしてここで戦争を終わらせなければならないと思ったのです。そして、戦争を終わらせたのです。多くの国民が政府を非難したそうです。また、太平洋戦争において、日本軍が進軍していくことを国民は喜びました。東南アジアの大きな町が陥落するとそれを祝い、花電車も走り、国民の多くがお祭り気分になったと聞きます。民衆も大きな過ちを犯すのです。扇動されて乗ってしまったとしても、過(あやま)ちは過(あやま)ちでしょう。私どももその意味で賢くならなければなりません。正しく生きようとするには、賢くなければならないことが分かります。

 

 本日の聖書箇所、そして、人間が過去行ってきたこと、そして私どもの周りで起こっていることを思う時、私ども人間の怖さを思い知らされます。自分が何か被害を受けた時は、これは不当なことだと声を上げても、自分が加害者になったり(自分は危害を加えているとは気付かず)、自分に直接関係ないことだと、誰かが不当な扱いを受けても、理不尽な仕打ちを受けても、平気でいたり、すぐにそのことを忘れてしまったりしてしまうのです。残念ながら、私どもは、卑怯(ひきょう)で、自分勝手であることを認めなければなりません。

 

 神が御子を私どもにくださったのに、私どもをそこまで愛してくださったのに、私どもは、御子を「十字架につけろ」と叫んで殺してしまったのです。これは、祭司長や律法学者たちだけのことではあません。彼らに扇動された民衆だけが悪いのではありません。私どもの実態を思えば思うほどに、私どもが神の御子を殺したのです。受難節は、まず、このことに心に留めてまいりましょう。そして、主に立ち帰り、悔い改めて、私どもの罪を赦していただきましょう。

祈りを捧げます。

 

 私どもの救い主である主イエス・キリストの父なる神よ。私どもは何という事をしてしまったのでしょう。あなたから御独り子を頂いていながら、それほどの大きな愛を頂いていながら、私どもは寄って集って御独り子を殺してしまいました。真に理不尽なことを、取り返しのつかないことを行ってしまいました。しかも、そのあとも、キリストの体なる教会を使徒たちを迫害したのです。今なお、私どもは自分の罪を充分に認めていません。どうぞ、私ども一人一人に自分の罪を悟らせてください。どうぞ、あなたに立ち帰り、悔い改めることの出来ますよう、お導き下さい。私どもの救い主、主イエス。キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

2月14日説教 - Unknown Artist
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2016年2月7日 日本バプテスト厚木教会 バプテストデー礼拝

 

ルカによる福音書 第23章1~12節

 

 1 そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。2 そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」3 そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。4 ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。5 しかし彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。

 

 6 これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、7 ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。8 彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。9 それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。10 祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。11 ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。12 この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。

 

「尋問され、侮辱されても沈黙される主イエス」

 

 本日もこのように皆さんと共に主の日の礼拝をお捧げ出来ますお恵みを感謝しています。本日も聖書の祝福の言葉を皆さんにお贈りして、説教を始めます。エフェソの信徒への手紙 第1章2節の言葉です。「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」

 

 本日、2月第一主日は、バプテスト派の日本宣教開始を記念する日で、私どもの日本バプテスト同盟では、この日をバプテストデーと呼んでいます。1873年(明治6年)2月7日、この日、ネイサン・ブラウン夫妻、ジョナサン・ゴーブル夫妻の両夫妻が、アメリカ北部バプテスト伝道協会から派遣されて、横浜に到着したことを記念して、この2月第一主日を「バプテストデー」としました。この日、アメリカ北部バプテスト伝道協会による日本伝道が開始されたのです。私どもが属しています日本バプテスト同盟の歩みは、ここから始まっています。その翌月の3月2日には、このブラウン、ゴーブル両夫妻によって、横浜に日本最初のバプテスト教会、横浜第一浸礼教会が設立されます。これは日本のプロテスタント教会では二番目に設立されたもので、現在の日本バプテスト横浜教会の前身です。実は、日本におけるバプテスト派の伝道開始は、それに先立つこと十数年前、1860年(万延元年)、今、申しましたジョナサン・ゴーブル夫妻がアメリカ自由バプテスト伝道協会の宣教師として来日した時から始まっていました。彼らは「キリシタン禁制」の大変困難な時代に、伝道しており、1871年(明治4年)、日本国内で最初に日本語聖書「摩(ま)太(たい)福音書(ふくいんしょ)」(マタイによる福音書)を出版しました。一方、1872年(明治5年)春、アメリカ北部バプテスト伝道協会は、日本伝道の急務を痛感し、ネイサン・ブラウン博士夫妻たちの派遣を決議しました。ブラウン博士は、すぐれた言語学者で、来日以前に既にビルマ語訳やアッサム語訳の新約聖書を完成しています。博士は来日後、日本語の聖書翻訳に没頭して、1879年(明治12年)、来日から6年後に、日本における最初の新約聖書全訳を完成しました。このように、バプテストの宣教師は日本の聖書和訳に先駆的は事業を残しつつ、伝道したのです。私どもの信仰の先達たちが、そのように神に用いられて、日本伝道を始めたことを覚えておきたいと思います。本日、このバプテストデーの礼拝を、皆さんとご一緒に捧げることができますことを感謝いたします。

 

 今週の水曜日、10日は「灰の水曜日」です。その日から、受難節に入ります。受難節は、復活日(イースター)の前日までの期間のことを言います。受難節は、その名の通り、主イエス・キリストが十字架の苦難を受けられたことを思い起こして礼拝を捧げる時です。この時期は、キリスト教会の一年の歩みの中でも、特に主イエス・キリストの十字架の意味をテーマにして礼拝を捧げる特別な期間とも言われます。この受難節の呼び方はいろいろありまして、その一部を紹介しますと、「四(し)旬(じゅん)節(せつ)」、「レント」があります。受難節は、灰の水曜日から、復活日(イースター)の前日までの46日間を言います。では、どうして、この時期を「四旬節」とも呼ぶのかと申しますと、この期間の日曜日を除いた日は合計で40日間になるからです。なぜ、そのような数え方をするのでしょうか。この時期は既に申しましたように、主イエスの十字架を覚える時です。そのため、このあとで申しますように、質素な、控えめな生活をする習慣があります。ただし、受難節の期間であっても、日曜日・主の日は、週の初めの日、すなわち、主イエスが復活された日ですので、祝いの日なのです。受難節の中にあっても、主の日だけは、質素で控えめであることはお休みして、祝い喜ぶ日なのです。そこで、46日間の中でも、日曜日・主の日は除いた40日のことを指して、四旬節と呼びます。また、「レント」とは、本来の意味は「長くなる」で、英語で言うと“Lengthen”で、日が長くなる季節、すなわち、元々は、春を意味する言葉でした。それが、のちに受難節のことを表すようになったのです。

 

 この受難節は、既に申しましたように今週の「灰(はい)の水曜日」から始まります。その日、ローマ・カトリック教会では、前年の、棕櫚の主日(パーム・サンデー)に教会に持ち寄ったり、飾った棕櫚の葉を保存しておき、それを焼いた灰(はい)で、「灰の水曜日」の礼拝に集まった人々が額に十字のしるしをつけてもらうという習慣があるそうです。それは、「あなたは灰になる」ということを象徴するためであり、さらにキリストの苦しみと十字架を記念するために、行われてきたそうです。人は最後には塵(ちり)に帰り、灰(はい)に帰ります。そのように、灰(はい)は、悲しみの象徴であり、さらには、悔い改めの象徴なのです。キリストが私どもの罪の赦しの犠牲として十字架におかかりくださったことを覚え、悔い改めるのです。灰はその象徴なのです。

 

旧約聖書のヨブ記第2章7節、8節では、無垢(むく)な正しい人で、神を畏(おそ)れ、悪を避けて生きていた(ヨブ記 第1章1節)ヨブが、さらなるサタンの試みを受ける場面があります。こう言われています。「サタンは主の前から出て行った。サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病(ひふびょう)にかからせた。ヨブは灰(はい)の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。」ここで、ヨブが灰(はい)の中に座ったことは、息子娘を亡くし、さらなる試みである皮膚病(ひふびょう)を受け、苦しむヨブの深い悲しみを象徴しています。また、マタイによる福音書 第11章21節では、「粗(あら)布(ぬの)をまとい、灰(はい)をかぶって悔い改めたにちがいない」という表現が出てきます。そこで言われていますように、ここでの灰(はい)は、悔い改めを象徴するものです。

 

 その「灰(はい)の水曜日」から受難節が始まることからも、この時期は主イエスの十字架の苦しみを覚え、その十字架が私どもの赦しのための犠牲であったこと、十字架なくしては私どもの救いは有り得ないことを覚え、主なる神の前に悔い改める時であることが分かると思います。

 

 そのため、この時期に断食もなされました。また、受難節でも主の日である日曜日の食事は別ですが、普段の食事は質素にする。具体的には、肉を食べないなどということもされたようです。また、昔、この期間は、ささやかな贅沢(ぜいたく)も控えるということがなされたようです。ただし、精進することや質素にすること自体に意味があるのではなく、そのようにして、この時期、他の事に心を向けるのではなく、主イエスが十字架の死に向かってどのような歩みを進めて行かれたかに、心を向ける、心を留(と)めるためです。

 

 今年も、ブラジルのリオのカーニバルが始まったとか、今真っ盛りだとか、ニュースになっています。謝肉祭(しゃにくさい)、カーニバルというと、世俗的な祭りと思われている方もあるでしょう。しかし、なぜこの時期に行われるのかというと、受難節には、今申しましたように、昔は、質素な、控(ひか)えめな生活をするので、受難節に入(はい)る前のこの時期に、春が近づいたことを祝い、感謝して肉を食べ、陽気に過ごすということだったようです。ただし、陽気に過ごすと言っても、騒いで、度を越してはならないでしょう。

 

 また、ローマ・カトリック教会では、一年の中で、復活日だけに、バプテスマ式を行うことから、受難節がバプテスマ志願者の準備の時とされたようです。主イエスのご受難を覚えることで、十字架と復活を覚えることで、新しい方が、信仰告白、バプテスマへと導かれるようにとお祈りしたいと思います。

 ただ今の説明の中で、「灰の水曜日」については、申しましたので、その他の日についても、簡単にご説明致します。「棕櫚(しゅろ)の主日・パームサンデー」は、主イエスがろばに乗って、平和の王として、エルサレムに入られた記念の日です。「棕櫚の主日」と言う呼び名は、このあと引用するヨハネによる福音書 第12章13節で群衆が「棕櫚(しゅろ)の枝」を手に取り、主イエスを出迎えたことに由来します。一つ前の12節から引用します。口語訳で引用します。「12 その翌日、祭にきていた大ぜいの群衆は、イエスがエルサレムにこられると聞いて、 13 棕櫚(しゅろ)の枝を手にとり、迎えに出て行った。そして叫んだ、/『ホサナ、/主の御名によってきたる者に祝福あれ、/イスラエルの王に』。 14 イエスは、ろばの子を見つけて、その上に乗られた。」そのように言われています。ただし、口語訳で「棕櫚(しゅろ)の枝」と訳してる部分が、新共同訳では、「なつめやしの枝」となっています。そのために、ただ今、口語訳で朗読致しました。

その「棕櫚の主日」からの一週間を「受難週」と呼びます。受難節もいよいよクライマックスです。平和の王として群衆に迎えられた主イエスですが、祭司長たちやファリサイ派の人々の陰謀により、捕えられ、最高法院で不当な裁判にかけられ、死刑判決を受けるのです。しかも、ローマから派遣されていた総督のピラトもそれを認めたために、十字架にかけられ、殺されたのです。

 

さて、「洗足木曜日」は、主イエスが弟子たちの足を洗われた日です。ヨハネによる福音書 第13章1節以下にこうあります。「1 さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。2 夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。3 イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、4 食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。5 それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。」こう記されています。この夜、このあと、主イエスはイスカリオテのユダの裏切りによって、祭司長たちやファリサイ派の手先により捕えられてしまうのです。そして、翌日の金曜日、すなわち「受難日」に、主イエスは十字架にかけられ、息を引き取られたのです。そして、その日の内に墓に埋葬されるのです。ところが、週の初めの日の朝、主イエスは復活されたのです。その日を記念して、「復活日(イースター)」を祝います。

 

 受難節の説明の最後に、「受難節への招き」と題されている言葉をご紹介します。

 

   主にあって愛する兄弟姉妹。代々(よよ)の教会は我らの主の苦難と復活を記念するこの期節を、深い献身の思いをこめて守ってきました。深い悔い改めと断食と祈りの時としてこれを守り、復活日に備えることが教会のならわしとなったのです。

   信仰に導かれた者が、キリストの体なる教会に加えられるための洗礼(バプテスマ)の準備と時として、同時に、信仰共同体から離れていた者たちが、悔い改めと赦しを通して再び和解を与えられて教会の交わりと回復される時として、この40日間は大切にされてきました。

   したがって全会衆は、イエス・キリストの福音が告げ知らせる神の慈しみと赦しを思い起こし、洗礼(バプテスマ)によってすでに与えられている信仰を更新しなければなりません。

   そこで私は、み名によって、この聖なる受難節へとあなたがたを招きます。自ら省(かえり)み、悔い改めと祈りと断食と愛の献げ物によってこの期節を守りましょう。神のみ言(ことば)に親しみ、これを味わいつつ、切に祈りましょう――。

 

 次週の14日が受難節 第一主日になりますが、今週の水曜日から受難節に入りますから、それに合わせて、礼拝では聖書の主イエスの受難記事を聞き、そこから説教してまいりたいと思います。今年は、既に朗読致しましたように、ルカによる福音書の受難記事に耳を傾けてまいりましょう。ちなみに、受難節に続く復活節も続けてルカによる福音書の復活記事の言葉を聞いてまいりたいと思います。

 

 本日与えられましたのは、主イエスがローマから派遣されていた当時の総督ピラトから尋問される場面と、当時ガリラヤの領主だったヘロデから尋問される場面です。その前のことを少し申します。夜、主イエスは弟子たちと過越祭を祝う食事をされます。そこで、本日私どもも行います聖餐の元になりました「主の晩餐」をなさいました。その後、主イエスは弟子たちを連れてオリーブ山に行かれて祈られます。礼拝堂正面右側、私の頭の上にあります絵がまさにその時の主イエスを描いた絵です。主イエスが祈り終わられた時、十二弟子の一人、イスカリオテのユダが主イエスを裏切り、主イエスを捕えようとする群衆の手引きをしてやってきます。主イエスは逃げることもせず、そこで捕えられます。主イエスは暴行を受けたのち、召集された最高法院で裁かれます。最高法院は、今の私どもにすれば、政府と最高裁判所が一緒になったような機関です。行政と司法の権限を持っていたのです。そこで主イエスを裁いて死刑にしようとしたのです。当時のユダヤの指導者たちを、そして、神殿を、はっきりと批判なさる主イエス、しかも、民衆から支持されていた主イエスは、最高法院を構成するユダヤの指導者たちにとって真に邪魔な存在だったのです。

 

 最高法院では、主イエスが自らを神の子だと言っているとして、それは神を冒瀆(ぼうとく)することだとして、主イエスを裁こうとしました。しかし、当時ユダヤはローマ帝国の支配下にあり、自分たちで死刑に値するという決定は下せても、死刑を行うことは出来ませんでした。そこで、最高法院で審理した後、主イエスは総督ピラトの所に連れて行かれます。それが本日与えられました箇所です。ところで、最高法院では、主イエスが神を冒瀆(ぼうとく)したということで、主イエスを死刑に値するという決定を下すことが出来ました。しかし、総督ピラトの前では、その理屈は成り立ちませんでした。その後、キリスト教会はユダヤ人からもローマ政府からも迫害されますが、ローマ帝国は、基本的に支配地の信仰については寛容でした。何を信じ礼拝しようが構わなかったのです。ただし、ローマ政府に反逆したり、犯罪を行って治安を乱す者は厳罰に処したのです。ですから、誰かがどんなに神を冒瀆(ぼうとく)したとしても、総督ピラってそれは全く関係ないことでした。そこで、主イエスを総督ピラトの所へ連れて行った人たちは、2節にありますように、「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」と訴えたのです。ローマ皇帝に税金を納めることを拒めば、それは総督も黙ってはいられません。また、ローマ政府に認められてガリラヤの領主となったヘロデ、本日の箇所に出て来る領主ヘロデならよいのですが、ローマ政府の了解を得ずに勝手に自分は王だとか、領主だとか名乗ることも、ローマ政府に反逆しているので、総督は黙っている訳にはいきませんでした。そのように、主イエスはローマ帝国に反逆しているとして、主イエスを処罰してもらおうと連れていった人たちは謀(はか)ったのです。しかし、それらの訴えが事実に基づいていないことが明らかになります。4節にありますように、「ピラトは祭司長たちと群衆に、『わたしはこの男に何の罪も見いだせない』と言って」、尋問、審理を終えようとしたのです。しかし、主イエスを死刑にしようとする人たちは、それで諦めるような人たちではありません。5節で言われていますように、彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張ったのです。主イエスが旅を続けながら、神の国の到来を告げておられるのは、民衆を扇動し、ローマの支配には反逆するためだと主張したのです。

 

これを聞いたピラトは、主イエスにガリラヤ人かと尋ね、領主ヘロデの支配下にあることを知ると、今度は主イエスをヘロデのもとに送ったのです。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたからです。そのヘロデは主イエスに興味をもっていて、一度会いたいと思っていたのです。特に、主イエスが行っていると聞いている奇跡を行うところを直接見たいと思っていたのです。そこで、ヘロデは主イエスにいろいろと尋問します。何を聞いたか興味があるところですが、聖書はそのところは何も記していません。ただ、「イエスは何もお答えにならなかった。」と告げているのです。このように、一方では厳しく尋問し、何とか証拠となることを聞き出そうとします。しかし、主イエスは沈黙されるのです。祭司長たちと律法学者たちもそこにいて、主イエスを激しく訴えたのです。そして、ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱(ぶじょく)したあげく、派手な衣を着せて再度ピラトに送り返したのです。

 

本日注目したいのは、説教題にも致しましたように、主イエスが沈黙されたことです。裁判において、訴えられている人は何とかして自分の罪が軽くなるように、または、訴えが不当であることを明らかにするために、弁明したり、反論したりします。ですから、ここでも、主イエスを訴えた人たちは、主イエスが盛んに弁明したり、反論してくるだろうと思ったことでしょう。それでも、何とか主イエスを言い負かして、主イエスを処刑してもらおうと思ったことでしょう。しかし、意に反して、主イエスは沈黙なさるのです。

なぜ、主イエスはここで沈黙されたのでしょうか。主イエスは反対弁論しても敵(かな)わないと思われたのでしょうか。そんなことはないでしょう。ピラトは主イエスに罪を見出せませんでした。主イエスは偽らざる神の御子ですから、もし、そのことを全面に出して主張なさっても、それは父なる神を冒瀆(ぼうとく)することではありませんでした。しかも福音書にしばしば記されているように、主イエスが他の人たちに言い負かされることはありませんでした。主イエスを陥(おとしい)れようとして、主イエスの言葉尻を捉えようとしたりしても、また、どう答えても逃れられないような設問をして、主イエスを陥(おとしい)れようとしても、主イエスはそこで言葉巧みに逃げるのではなく、真理を告げて、彼らの悪巧みを退けられました。ですから、反対弁論しても敵(かな)わないとの理由で、主イエスは沈黙されたわけではないことは自明です。

では、どうして、主イエスは沈黙されたのでしょうか。その一つは、主イエスは主イエスを裁こうとしている人たちを相手になさっていないということです。同じステージで、論争するなどということはなさろうとしておられないということです。

 

また、沈黙の一つの理由として考えられることは、主イエスは父なる神を信じ切っておられたからでしょう。人がどんな悪巧みをしようが、神は御心を行われる。ご計画になった通りに御業を行われる。しかも、神は間違ったことを必ず審いてくださる。そして、神の真理こそが勝利する。主イエスはそのことを信じ切っておられたのでしょう。ですから、余計なおしゃべりなど不要なのです。沈黙に優るものはないのです。

ただし、この時主イエスを裁こうとしていた人たちは、主イエスが沈黙なさっている訳については全く思いも及ばなかったでしょう。どうしてと、考えることもなかったでしょう。むしろ、これは好都合と主イエスを非難し続けるのです。彼らは自分たちこそが主イエスを裁くのだと意気込んでいたのでしょう。そう考えると、主イエスの沈黙は、神の審(さば)きそのものであったとも言えるでしょう。父なる神はしばしば沈黙されます。その際、一つ考えなければならないことは、その沈黙は神の審きかもしれないということです。ただし、軽はずみに沈黙イコール神の審判とすることは、間違えであり、危険な考え方です。しかし、この神の沈黙は、神の審判かもしれないと考え、自分を省(かえり)みることは大切なことです。その上で、ここでの主イエスの沈黙は、人が神を裁いていて粋がっているように見えて、実は、彼らに対するはっきりとした審判であったということです。

 

私は本日の記事の言葉を聞いていて、沈黙なさる主イエスと主イエスを裁こうとしてしゃべり続ける人たちが真に対照的に示されているように思えました。私どもは沈黙することが苦手です。何か言いたくなります。黙っていなければならないとなると、余計、おしゃべりがしたくなります。しかも、「口は災いの元」という言葉があります。私どもは、心や頭で悪巧みをし、罪を犯します。さらに、それを口走って、さらに大きな罪を犯すのです。

 

 キリスト教会の中には、礼拝の中で沈黙の時を持つという礼拝を捧げている所があると聞きます。神の前に沈黙するのです。カトリック教会では、沈黙するための施設を設け、希望する人は宿泊して、沈黙する時を持てるようにしている所があります。私どもは人の前でもおしゃべりですが、神の前でもおしゃべりになってしまうのです。神の前に沈黙する。それはとても大切なことなのです。

 

キリスト教会の歴史において、沈黙は大切なこととされてきました。そして、キリスト信仰において、沈黙を考える際には、本日の箇所にあります主イエスの沈黙をよく学ばなければならないと言われます。私どもも、主イエスの沈黙に心留め、静まって沈黙することを大切にしてまいりたいと思います。

 祈りを捧げます。

 

 私どもの救い主である主イエス・キリストの父なる神よ。まことの静けさを与えて下さい。主イエスの沈黙のお姿の中に、あなたを信じ切る僕の姿を見出させて下さい。おしゃべりを捨て、あなたの前に、あなたのみ言葉の前に黙することを学ばせてください。御子主イエスに倣い、あなたに従う者とさせて下さい。主のみ名によって祈ります。アーメン。

2月7日 バプテストデー - Unknown Artist
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